HIPHOPうんちくん

おもに米HIPHOPの新譜やアーティストのうんちくなどについてつらつらと執筆するブログです。

<作品メモ>THE ART OF ORGANIZED NOIZE(アート・オブ・オーガナイズド・ノイズ)

以下、Netflixで鑑賞したドキュメンタリー映画「THE ART OF ORGANIZED NOIZE(アート・オブ・オーガナイズド・ノイズ)」の感想文です。

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<ヒップホップの創世記>というと、当たり前のように70年代後半のニューヨーク、サウス・ブロンクスがフォーカスされ、ついで80年代後半の西海岸へとスポットライトが当たる。そして、90年代の黄金期サウンドとしてDJプレミアピート・ロックといったイーストコーストを中心に活動した名プロデューサーの名前がクローズアップされ、そのあとに続くのはパフ・ダディが築いたバッドボーイ帝国や、Dr.ドレーのアフターマス王国あたりと言ったところでしょうか。私も90年代後半ごろからUSのヒップホップ・サウンドを追い始めて、最初は先輩に「DJプレミアからディグれよ」みたいなことを言われたのだけど、正直、当時は一つのループで作り出されるトラックがとても単調に聴こえてしまって、はっきりとフックのコーラスがフィーチャーされているGファンク系のサウンドや、バウンシーな南部のサウンドの方がとっつきやすかったの。ナズの『Illmatic』を聴いても「あれ?今の曲、フックはどこだったの…?まさか、あのサンプリングの部分がフック…!?」みたいな。

というわけで、80年代後期〜90年代の米ヒップホップ史においてはニューヨークとロサンゼルス以外の地域はほぼシカトされることが多い。たまにマイアミの2ライヴ・クルーやヒューストンのスカーフェイス、UGK、そしてアトランタアウトキャストらの名が挙がるくらいでしょうか。話が前後してアレだけど、私は中学二年生くらいの時期にグッディー・モブ「Cell Therapy」を聴いて、その泥臭いトラックとラップの虜になってしまった。

その頃、モニカやアッシャー、TLCといった大好きなR&Bアーティストがこぞってアトランタ出身だということに気がつき、グッディー・モブもまたアトランタ出身だということに気がついた私はめちゃくちゃ興奮したのを覚えています。極め付けは1999年に安室奈美恵さんが発表したシングル「Something ‘Bout The Kiss」で、その曲のプロモーションには必ず「ダラス・オースティンのプロデュースによる」という文句がついて回っていた。

で、当時たまたまチェックしていたTLCのアルバム・クレジットにもダラスの名前を見つけて一人でニヤニヤしていた気がします(ちなみに中学生の私はアルバム・クレジットの欄を歌詞だと勘違いして熱心に読み込んでいた。そのおかげで、早いうちからプロデューサーやサンプリングのネタ元などを知ることができたと思う)。てゆうか、この曲ってデモテープで仮歌を入れていたのがモニカだって話をTVかどこかで聴いた気がします。

そんなこんなで、私が15年以上ファンを続けていたアトランタ・シーンのサウンドを作り出す名プロデューサー・チーム、オーガナイズド・ノイズ(ON)の裏側を余すところなく伝えてくれる本ドキュメンタリー作品はとにかくツボな部分だらけで、2016年10月のNetflix公開からかれこれ3度は観た。知らない貴兄のために記しておくと、ONはリコ・ウェイド、レイ・マーレイ、そしてスリーピー・ブラウン(めっちゃ伊達男♡)からなるプロデューサー・チーム。詳しくは『The Art Of Organized Noize』本編をご覧頂きたいのだけど、アウトキャストのプロデュースや、TLC「Waterfalls」、アン・ヴォーグ「Don’t Let Go(Love)”などを手がけたチームです。

元祖ダーティー・サウス!!

本編では彼らの成功、そしてアウトキャストやグッディー・モブ、ダンジョン・ファミリーらチームとの別離を生々しく伝えていて、今になってやーっと「ああ、あの時はそんな心境だったんだ」と知ることも多かった。あの頃は、いちいちSNSでその時の感情をスプレッドしていた時代じゃないからね。ペブルスがLA・リードへとONのことを紹介して見事La Faceとの契約に至った経緯や、そのあと、LaFaceのクリスマス・コンピ用にアウトキャスト「Player’s Ball」を作ったエピソード、そのMVの中で、「アトランタらしさ」を出すためにわざわざアトランタ・ブレイヴスのユニフォーム・シャツに着替えたこと、そしてヒットのあとに薬物中毒に陥ってしまったことなど、本人たちはもちろん、周りにいた当事者たちの意見も交えながら見事にドキュメンタリー映画として構築していて素晴らしかった。ちなみにメガホンを取っているのはQDIIIこと、クインシー・ジョーンズ・三世。あのクインシー・ジョーンズの息子さんだそう!なんでこのフィルムを撮ることになったんだろう。初出はSXSWだそうです。QDIIIさん、どうもありがとう。

ほんでもって、本作にはグッディー・モブのメンバーであるビッグ・ギップの元奥さんであり、一時期あのルーシー・パールのヴォーカルを務め、2015年のディアンジェロの来日時にはバック・ヴォーカルとして参加していたジョイ・ギリアムや、アウトキャストのデビュー時にバックアップしていたパフ・ダディのほか、リコ・ウェイドの従兄弟でもあるフューチャー、そして現代のアトランタ・サウンドを牽引するスター・プロデューサー、メトロ・ブーミンらの発言映像も盛り込まれています。メトロ・ブーミンなんて日本のメディアで紹介されること、非常に少ないっつうかほぼゼロだと思うから、これはとっても貴重な映像だと思う。

どこかの原稿でも書いたけど、今や、マイリー・サイラスジャスティン・ビーバーらポップ・シンガーまでもがこぞってサウスのヒップホップ・ヴァイブスを取り入れているし、プロデューサーのマイク・ウィル・メイド・イットはアトランタ産のトラップ・サウンドを明らかにポップ・ミュージックへと昇華したよね。チャンス・ザ・ラッパーの『Coloring Book』が前作『Acid Rap』よりも高い評価と人気を得たのも、ゴスペル要素やSOXの面々による素晴らしいサウンド構築に加え、フューチャーや2チェインズ、ヤング・サグやリル・ヨッティーといった、旬&ある意味ポップなアトランタのMCたちを多く起用したからだと思う(言い過ぎ?)。

そんなこんなで、アトランタのヒップホップ・シーンの礎を築いたONの存在がなければ、2016年のビヨンセもカニエ・ウエストも、リアーナも、チャンス・ザ・ラッパーも存在しえなかったのではないかしら(言い過ぎ?すみません)。2016年は日本でもやたらと↑のようなアーティストにもスポットライトが当たった年だったと思うけど、去年、初めてチャンスやビヨンセの作品に触れたという方にも、このドキュメンタリー作品を観ていただければな〜と思います。今や、こんなにもパワーを持ったアトランタ産のサウンドがどのように創られていったのか(そしてそこにはどんな犠牲と葛藤があったのか)知ることが出来ますので。

ちなみにCOMPLEX誌がONのベストワークス25をまとめておりますのでご参考までにどうぞ!

The 25 Greatest Organized Noize Songs Of All Time | Complex

というわけで、2017年もホットなアトランタ・サウンドとの出会いを楽しみにすべくキーボードを閉じたく思います。

またね〜。