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HIPHOPうんちくん

おもに米HIPHOPの新譜やアーティストのうんちくなどについてつらつらと執筆するブログです。

<作品メモ>この世界の片隅に

全然ヒップホップとは関係ないのですが、映画「この世界の片隅に」を観に行ったので思わず感想をしたためようかと…。

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<以下、ネタバレがありますのでご注意を>

私の両親はともに広島県で生まれ育ち(父方に至っては江戸時代まで遡っても広島にずっと住んでいるほどの家系)、特に母方の祖父母は爆心地にも近い広島市出身でした。私も18歳までを広島市内で過ごしました。私の祖父は1945年8月6日、広島市に原爆が投下されたその日、学徒動員中だったそうで(比治山じゃったかね)、作業中に被爆して背中に大きな火傷を負い、以後、被爆者として生き抜いた人物です。祖父には被爆手帳も支給され、私は被爆3世ということになります。同時期、祖母は兄妹と一緒に県北へ疎開していたそう。ただ、二人とも戦争体験は私にも私の母にも、全く話そうとしなかったんですよね。祖父は被曝した上、親兄弟も原爆によって亡くしています。なので「この世界の〜」を鑑賞した際、当時の広島市内の様子がありありと再現されていて、スクリーンにアニメーションで描かれた風景の中に私の祖父母の「日常生活」も存在していたんだなあ、と思うとそれだけで泣けてきました。しかも、うちの祖母の家は、幼少期のすずが海苔を届けに行く中島本町の近辺で骨董品店だったかを営んでいたらしいんですよね。なので、余計に泣けてきた。

そして各所で語られていることですが、劇中ではこうした「広島」「呉」のディテールが本当によく描かれていて、特に広島市出身の私は(前述した理由もあって)一気に引き込まれてしまいました。ローカルなネタだと、すずがお嫁に行くために江波から呉まで列車で移動するんじゃけど、そこに「むかひなだ」の文字(⬅︎めっちゃ地元)、そして原爆直後の描写で「東雲から来た人はおらんか」のセリフ…。よくも東雲なんて地名を出してきたね、と思ったけど、ほんまにあの時、あの場所に東雲から呉まで歩いて逃げてきた人がおったんじゃろうね。辛い…。

方言ネタだと「たいぎい」「やねこい」(ともに面倒くさい、の意)、「つむ」(商店などが営業を止める、閉店する)などのドープな方言が出てきたのも嬉しかったし、リアリティがあった。小学校(当時は尋常学校か?)の男子は「カバチタレ!」って言ってましたね。

そして、戦争を生き延びてハッピーエンド!という終わり方だけではなく、その後、被爆者の方が背負っていくであろう苦しさの部分を匂わせる描写があったのもよかったです。すずが右手を失っているのはその最たる例だと思うのですが、わっ…と思ったのは、すずの妹のスミが被爆後に腕の痣を見せて「うち、生きられるんかねえ」と言っていたところ。もしかしたらスミちゃんはこの後、何十年も原爆症に苦しむ未来が待っているのかもしれん…と思ったらやけにツラい気持ちになりました(井伏鱒二「黒い雨」を思い出してしまいました)。だって、現にそんな広島市民はたくさんいるもの。あと、戦後の呉の闇市のシーン。ここから「仁義なき戦い」に繋がるんか…と、これまたハッとした。「この世界〜」も「仁義なき〜」も、私にとっては戦中・戦後の広島を知る大事な手がかりとなる映画じゃ。ほうじゃ、のんさんが喋る広島弁は、「仁義なき〜」で菅原文太が披露する広島弁と同じくらい違和感がなく、ずっしり心に響くもんじゃったわ。

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とにかく、個人的には祖父母が語らなかった「戦時中の広島の暮らし」を知ることができて本当に良かった。祖父はすでに帰らぬ人なので、余計に。

広島の被爆者は、のちにNYのハーレムでマルコム・Xとユリ・コウチヤマさんと会っているんですよね。人種差別と立ち向かう(というか対立していた)マルコムは被爆者として差別を受けた人々に対し、シンパシーを感じとったそうです。

 

では、また何かあれば書きます。

 

参照リンク:

www.nhk.or.jp